
それらは大きく3つのグループに分けられます。
1.クメール人
人口の大部分(約90%)はクメール人で、農業や公務員として働いています。
2.クメール.ルー
先住民族や先住民族の次世代。
クメール.ルーには、カー民族、スニアー民族、プノン民族、スオーチ民族、サムレェー民族、コウイ民族、トムプン民族、クルーン民族、チャーライ民族など約30の異なるグループがあり、それぞれ方言もあります。
果物を栽培したり、焼畑農業を生業としています。
クメール.ルーの人々は家族、健康、教育など多くの課題に直面しています。
彼らは自然や野生動物と共に生活をしてきましたが、森林伐採により自然が破壊され野生動物が減ってきています。
これは、クメール.ルーのもう1つの大きな問題です。
3.移民からクメール人となった人々
カンボジアには、ラオス、チャム、ビルマからの移民が多くいます。
彼らはクメール人と同じ権利と義務を持っていて、イスラム教徒、クメールイスラムが多くいます。
首都プノンペンの郊外、カンポット州、タケオ州、カンポンチャム州、バッタンバン州、シアヌークビルなど海や川の近くに住んでいます。
多くのチャムやジャワ人は釣りを生業としています。
ラオス人は、ラタナキリ州、ストゥントレン州、コンポントム州、バッタンバン州の各州に住んでいます。
彼らはクメール人と宗教や習慣が似ています。
ビルマ人とコラ人は、19世紀以来宝石の採掘をするためにパイリン州に住んでおり、故郷に帰ることはありません。
長い間カンボジアに住んでいる外国人は、中国、ベトナム、インド、タイ、マレーシア、ヨーロッパから来ている人が多くいます。
その中でも特に多いのは中国人で、1970年に約40万人の中国人がカンボジアに来て共生しています。
彼らはビジネスが上手く、多くの企業が中国系です。
1980年には、民主カンプチアからの迫害により半分の中国人がいなくなりましたが、1990年には中華学校を開校したり、ポルポトの時代に改姓させられた姓を戻す許可が出されたり、中国人が生きやすい環境に戻り、現在でも多くの中国人、中国系のカンボジア人がいます。
ベトナムがフランス植民地支配をされていた時代に、ベトナム人の多くはカンボジアへ移住し、フランスのゴム農園で働いたり、小さいビジネスをしたり、漁業などをしていました。
ベトナム戦争時には、経済的な理由や戦争の被害から逃れるために、さらに多くのベトナム人がカンボジアに入ってきました。
1970年には、約50万人のベトナム人がいたそうです。
しかし、カンボジア内戦時に、大部分の人々が帰国し、残っていたベトナム人は殺害されました。
その後、カンボジアが落ち着いてから今まで多くのベトナム人が再び住み始めています。
サポートスタッフ(通訳)
ドォン ブンヘン 大きな写真を見たい方はこちら »