
でも、ここでの12月から1月は、ごく普通に、日々が過ぎていきます。
クリスマスはおろか、年末・年始もありません。
1月1日が、「世界の正月」として、祝日になるだけです。
祝賀行事は、一切ありません。
季節は、乾季です。
当地プレイベン市の近郊では、車が巻き上げる土埃を被って、家々の屋根も庭木も、茶色になっています。
一方で、広大で茶色い水たまりの水位が下がり、田が姿を現します。
すぐに耕されて、種が蒔かれ、一面の緑に変わっていきます。
11月21日に、プレイベン州の小学校教員養成校の入学試験が、本校を含めて、市内十数か所の会場で行われました。
今年は、180名の募集に対して、1800余名の応募者、競争率は約10倍で、昨年をやや下回ったようです。
後日、合格者の発表と入所手続きが行われて、12月9日が初登校になりました。
教員養成校の1年のうち、12月と1月の2か月間だけ、1年生と2年生の授業が、同時に行われます。
教官たちと私たちにとって、最も忙しい期間です。
2012年6月の着工から1年半、リソースセンターの建物が完成しました。
周囲を覆っていた飯場や資材置き場の小屋が取り払われて、立派な佇まいを見せています。
しかし、各地に設置されているリソースセンターが、ADB(アジア開発銀行)からの、巨額の支援を受けて建設されているにもかかわらず、ほとんど利用されていないと聞いています。
どのように運用されるのか、心配ではあります。
そして、一棟五室の教室と、2か所のトイレが新設されます。
すべて、ADBの支援によるものだそうです。
机やイスは、教育省から配当されるそうです。
こちらは、大いに活用されると思います。
暮れの休みに、シェムリアップへ行きました。
プレアヴィヒア寺院へ行くツアーがあるというので、迷わず参加しました。
ワゴンで往復8時間、登下山のトラックが約1時間、遺跡見学2時間、合計11時間という強行軍でしたが、カンボジア第2の世界遺産、プレアヴィヒア寺院の存在を知ってから、念願にしていましたので、苦にはなりませんでした。
遺跡をパトロールするポリスや、飲み物を売る人々とその子どもたちは、素敵な笑顔で迎え、送ってくれました。
とはいえ、国境を向いた斜面には、土嚢が積まれたり、塹壕が掘られたりして、銃眼が開けられています。
その傍らには、銃を手に、タイ側に鋭い視線を向けた兵士が立っていました。
視線の先には、タイの展望台があって、多くの人がこちらを見ていました。
「ここは、国境争いの最前線なのだな。」と、実感させられました。
ポセイドン神殿と並び称されるプレアヴィヒア寺院が、どちらの国からも、自由に見学できるようになることと、本格的な調査や修復が開始されることを祈って、2013年にお別れをしました。
小泉文晁
教育アドバイザー
プレイベン小学校教員養成校
理科担当 大きな写真を見たい方はこちら »