【教育アドバイザーの活動日誌⑪】1年を振り返って(その7)クメール語(カンボジア語)
2010年8月18日
記憶とはいったい何なのだろう。
プラナリアの実験を引き合いに出すような難しい話は抜きにしても、記憶のメカニズムはいったいどうなっているのだろうと思う。
ヒトは、道順や図などはもちろんなこと、抽象的な言葉や音程を含めた音まで記憶する。
実に不思議である。
覚えるということについて、2つのタイプがあるのではないかと思っている。
こちらに来る時、クメール語の研修会があり、日常的な会話文を習ったのであるが、そのときCIESFの2人のスタッフが一緒であった。
そのうちの一人は、黒板など見ずに、遠くで聞いているだけですらすらと復唱でき、しかもしばらく時間を置いてもスムーズにそれができる。
彼はきっと、音そのものを記憶する装置を持っていて、耳で聞いて覚えることができるタイプである。
私はというと、1単語ならまだしも、2、3の単語が続いた文になると、先生が読んだすぐ後でも復唱できず、ましてや、数分置いた後などでは全く忘れてしまっており、どうやら、取り留めもない音(言葉)に対する記憶装置がないようである。
したがって、仕方なく記憶しようとする時には、音を文字に置き換え、この文字を覚え込む。
音は消えてしまうが、文字は実態があり、記録に残り、記録しておけばそれに頼れるという安心感があるのかもしれないが、要するに目から覚えるタイプである。
だから、言葉を思い出す時には、その言葉の文字を思い出し、その文字を読んでいる。
それでもカンボジアに来たのだから少しはクメール語を、と思うのだが、クメール語の本を見ると最初に「クメール文字には子音が33個、母音が23個、独立母音が……」と書かれている。
しかも、その文字はミミズがのたくったような文字であり、表記は一応左から右なのであるが、文字の配列によっては左に戻ったりする。
言葉を目から覚える人間にとっては、クメール語は非常に負担な言葉である。
その点日本語は、10個の子音と、5個の母音だけであり、実にスッキリしているが、外国人が日本語を習う時、発音はともかく、漢字を含めればその文字の多さ、読み方にはウンザリするだろうとも思う。
それを思えば、と気を取り直してクメール語にチャレンジするのであるが、いつも、数ページもない教科書の第1課を終わらないうちに、いつの間にかクメール語から遠ざかっている。
JICAの青年海外協力隊で同じ教員養成校に派遣されている物理の曽田先生は、クメール語で授業をやっている。
彼も、話しているとどうやら私と同じで、文字から覚えるタイプの人間らしい。
JICAでは派遣される前に3ヶ月間みっちり語学研修があるのだそうだが、それでもこちらに来て3ヶ月間、物理のことは忘れて先生に付いてクメール語に没頭したという。
そして日本人とは付き合わず、現地の人と接触する機会を積極的に持ったと教えてくれた。
そのようにしてクメール語をマスターした結果、生徒が周りに集まり、いろいろ質問をしてくるようになり、生徒のつまずきを知ることができるようになったのだろう。
言葉ができれば、と痛切に感じるが、クメール語の壁はとても厚い。
きっと何時までたっても、私のクメール語の教科書は、第1課を終わることなく、冷ややかに私を遠ざけるのだと思う。
溝口克彦
教育アドバイザー
プノンペン中学校教員養成校 化学担当
写真1: 物理の曽田先生(第1回スタディーツアーで)
写真2: クメール語で書かれた教科書











