【教育アドバイザーの活動日誌⑤】1年を振り返って(その1)カンボジア生活の幕開け

2010年7月23日

 

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今日、中学校教員養成校(RTTC)の一年間の授業が終わり、7月の学年末試験に向けての休みに入った。

昨年の9月、ただ一人、カンボジアに第1陣の教育アドバイザーとして派遣された私は、この7月末には日本に一時帰国する。
周りに知る人もなく、ただRTTCと下宿を往復する毎日の生活の中で、私は何を感じていたのだろう。文章にするほどのことではないが、この一年間を思い起こし、そんなことを綴ってみたいと思う。


2009年8月に赴任予定であった出発を延ばしてもらい、カンボジアに着いたのは9月3日の夜であった。
明くる日は終日フリーであったが、目を覚ますと、大家さんは共稼ぎのため居ない。
家の回りを探索に出るが、下宿はプノンペンの中心地から外れているため、気の利いたレストランなどというものはない。
今でも一人では入りにくいような、地元の人が利用する食事をする店はあるが、何があるのかが分からないから、どうやって注文したら良いのかも分からなく、したがって店に入る気にならない。


屋台で揚げパンのようなものを売っていたので、仕方ないのでこれを買い、歩きながらかじり、朝昼兼用とした。
そのうちに、コンビニ的な店を見つけたので、ここでビールとつまみを調達し、夕方家に戻る。
下宿の奥さん(キムさんという:日本に留学したことがあり、日本語が話せる)から、「ご飯は?」と聞かれたが、いかにも食事をせびっているようなので、「食べた」とやせ我慢をして、その夜はビールを飲んで寝る。
3日目に炊飯器を購入、それ以降自炊生活が始まり、これで食の心配はなくなる。


私が赴任した当時、CIESFの事務所では、愛知教育大学名誉教授の、私より4つほど年上の金森先生お一人だった。
カンボジアの事務局長から雑用まで、全ての仕事を一人でやっていた。
金森先生は、私をとても気遣ってくれ、机や台所用品など、身の回りの買出しに一緒に行ってくださったが、何といっても年上であり、名誉教授であるから、そんなに気安くいろいろ身の回りのことについての相談ができるわけではない。
結局、未知の世界に一人放り出されたような状態で、何から何まで自分でやらなければならなかった。
それでも食事は自炊で確保されているので、普段の生活そのものにはさほど困る事はなかった。


しかし、一番困ったのは、“やることがない”ということである。
カンボジアの家は、窓にも扉にも鉄格子がはまっていて、鍵が何重にもかけられている。
緑でもあればいいのだが、コンクリート造りの長屋のような家で、日本で勝手に振舞っていた身には、まるで牢獄に入れられているようで、一日部屋にいると気分が滅入る。
早くRTTCを紹介してくれれば良いのにと思うのだが、金森先生は「まあ、ゆっくり生活に慣れてください」というばかりで、そんな気配はない。
そんな中、私がこちらに赴任して5日後には、金森先生は日本に出張するという。
その間、何かあったら相談するようにと、JICAのSTEPSAM2の村山さんを紹介してくれた。


STEPSAM2では、全国のRTTCの理科の先生をプノンペンに集め、理科の研修会を開くが、それに先立ち研修会の指導者 (現地の人)の指導を日本の大学の先生が来て行うので、大学の    先生と一緒に、指導法の検討をしてみないかと誘われた。
カンボジアに来て、ようやく自分を生かせる仕事ができる。
これが、結果的に私を生き返らせた。
そして、このことは教育アドバイザーとしてのカンボジアでの準備の幕開けでもあった。

溝口克彦
教育アドバイザー
プノンペン中学校教員養成校 化学担当


写真:指導者研修会での実験指導の検討風景

 

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